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でんすけ、天に昇る(1)

でんすけ 9月19日朝9時過ぎ、でんすけが天使になった。
 
 5月下旬頃からなんとなく体調が悪いというか定期的に食欲が落ちて食べられなくなり、そのたびに5日から1週間程度、点滴に通っては復活! ということが続いていた。
 
 そして8月末からは毎日点滴に通っても一向に回復せず、どんどん小さく、軽くなり、とうとう空に昇っていってしまった。

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享年約19歳

 享年約19歳。「約」がつくのは、家に来たときすでに3歳くらいだったので、はっきりとした年齢が分からないからだ。動物病院の記録によると2000年11月が初診だということなので、逆算するとだいたいそのくらいの年齢になる。

 猫の年齢換算表では92歳。「大往生だね」と、みんなが言う。客観的には、その通りなんだと思う。

 でも私にとっては「まだまだ早い」としか思えない。ギネスブックに載っている長寿猫は確か36歳だった。でんはまだ、その半分くらいしか生きていない。

「気の強い雌猫は長生き」だと聞いたから、少なくともあと数年はがんばって生きてくれると信じていた。ほんの1月前まで。

1月前は家族旅行中

でんすけ G.W.を過ぎた頃から定期的な食欲不振に陥ることはあったものの、8月後半まで平均的にはよく食べていたし、食欲が回復すると元気よく鳴いていた。
 階段を上るのがだんだんしんどくなって、ほぼ1Fで暮らすようになってはいたが、食欲が回復すると朝のパトロールや夜の散歩もしていた。

 別な機会に書こうと思っているのだが、実はこの8月後半には生まれてはじめてでんも一緒の家族旅行も実現した!

 そう1月前の今頃は、宿の庭を散歩したり、刺身をねだったり、寝室に入ってきては私を起こしたりしていたのだ(写真)。

 それなのに・・・あまりに早い最期だった。

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でんすけ、天に昇る(2)

宿の庭で遊ぶでんすけとケフィ「こんな調子なら年末もでんを連れてケフィと旅行できるね」

 そんな脳天気な話をしていたのはつい1月ほど前。
 でんすけが天使になってしまったことが信じられず、荼毘に付すまで中一日時間を取った。「もしかしたら生き返るかもしれない」と願わずにはいられなかったのだ。

 その間、何度もでんすけに話しかけた。

「ねぇ、でん。もうそろそろ起きようよ。そうしないと本当に焼かれちゃうよ」

 でも、返事はなかった。体を揺すっても撫でても、手を引っ張っても、耳を触っても、でんすけはただただ眠っているだけ。眠っているときにいたずらするといつも「うんー!」と抗議の声を上げるのに、声を出すどころかぴくりとも動かなかった。
 まるで笑っているかのように安らかな寝顔で、ただただ横たわっていた。

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真っ青な秋の空へ

家でくつろぐでん 21日朝9時過ぎ。ケフィも一緒に霊園まで行き最期のお別れをした。死に水を取ったときも、「本当に本当に、焼かれちゃうんだよ」と揺すり、焼かれる直前まで声をかけつづけたけど、やっぱり、でんは目を覚まさなかった。

 そうしてとうとう、お気に入りのトトロ柄の毛布とたくさんのお花に囲まれて天に昇っていった。寝息が聞こえてきそうなくらい静かな寝顔のまま・・・。

 天国までの道のり「お腹が空かないように」と用意した大好きな無添加猫用鰹節や鰹の刺身も持って。「迷子にならないように」と入れた迷子札と首輪も一緒に、煙になって真っ青な秋の空へと溶け込んで行った。


でんは小さな骨に

 どのくらいの時間たったのだろう。20分? 30分? でんすけは小さな白い骨になった。 あばら骨なんか、ちょっとした魚の方が大きいのでは? と思うくらいのサイズ。「こんな体でよくよそ猫と戦ってたもんだ」と、改めてびっくりするほど華奢だった。
 
 霊園の方が「目のところが黒くなるのは白内障の印」と教えてくれて、目が悪くなっていたこともはじめて知った。

 骨壺を見せると、ケフィは鼻をひくひくさせ、でんすけの気配を感じているかのようにあたりの匂いを嗅ぎ、まるで天に昇る姿が見えるかのように空を見つめた。
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でんすけ、天に昇る(3)

見上げるケフィ 霊園からの帰り、「でんの供養に」とお寿司屋に寄った。家人が「このマグロうまい!」と言ったのを聞いて「じゃあ、でんにも・・・」と言いかけてはっとした。
 もうでんはいないのだ。

 でんが我が家の猫になってから、もうずっとずっと、お寿司屋に行ったときには、でんの好きなマグロや鰹をお土産に持ち帰るのが決まりだった。でも、もうそれはできない。

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もう何もしてあげられない

見つめるでん 歯磨きをしていると、「空いている方の手で撫でてよ」と寄ってきたでん。だからいつも歯磨きはでんを膝の上にのせ、撫でながらしていた。でも、もうそれはできない。
 冬になるとストーブの前で「点けて」と両目ウィンクをしていたでん。でも、もう点けてあげられない。寝床に潜り込んできて「あおーん(ふとんをめくって中に入れてよ)」と鳴いたでん。もう、布団をめくって招き入れることもない。

 抱っこも、シャンプーも、ブラッシングも、腕枕も、もう何もしてあげられない。家族旅行も、もう連れて行ってあげられない。こんなに愛しているのに。そのことが悲しい。


ケフィもでんを探している

 今も、帰宅すれば、駐車場の隅っこにでんすけを探してしまう。お風呂に入ればでんすけの姿がガラスの向こうに見える気がするし、ご飯を食べていれば「何食べてるの? お魚ないの?」と首をかしげてるでんが足下にいる気持ちになってしまう。

 ケフィもそうだ。ずっとでんを探している。でんがいたあたりの匂いを嗅いでは振り返り「でんを迎えに行かないの?」と言いたげに、私を見つめる。でんの部屋にお線香をあげていると、中をのぞきこんでは「でん、いないの?」と不思議そうな顔をする。

「あたし、幸せだったよ」

 でも実は、別れの予感もあった。亡くなる数日前の夜中。でんの命の火が消えようとしていることが悲しくて泣きながら撫でていたときのこと。私の膝にいたでんがふいに顔を上げ、目が合った。ここのところ首も上がらなかったでんが、ぱっちり目を開け、元気なときと同じきらきらしたエメラルドグリーンの目でしっかりと私を見つめ、こう言った。

「なんで泣いているの? あたし、幸せだったよ」

 その頃の私は「少しでも長く生きて欲しい」と思う反面、心配で夜も眠れない不安な生活を苦痛に感じ始めていた。そんな私の気持ちを察したかのように緑色の目は語っていた。
「もう十分。あたしは十分かわいがってもらったし、人生を十分楽しんだから」

 そして数日後、本当にあっさりと、まるで眠るように逝ってしまった。
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君がいるから、人生は面白い(1)

宿でお気に入りだったトイレの場所「あたし、幸せだったよ」

 そう言ってでんすけが天使になってからもうすぐ1月になる。
 この間に、待ちに待った『先生と迷い猫』も公開の日を迎えた。ネットで見ると、評判も上々のようだ(先生と迷い猫に関するみんなの感想

 でも、1月がたっても私は相変わらず、でんすけがいなくなったことを受け入れられずにいる。

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朝の日課

宿の玄関。トイレが終わると自分で部屋に入ろうと戻ってきた 朝起きると、隣に寝ているはずのでんすけをつい探してしまう。私が起きると一緒に起き上がり、私が窓を開けると一緒に窓から外をのぞいて公園の様子をうかがっていたでん。私が再びごろんとすると「あ、二度寝するの?」と定位置の右脇の下に潜り込んできた。

 私が起き上がって1階に降りると後を付いてきてご飯の催促。満足すると朝の散歩&トイレへ。冬はストーブで暖まってからでかけるのが日課だった。

 戻ってくると「あっかーん!」「あっおおーん!」「うぉー!」という、なんとも表記が難しい、だれもが「こんな声を上げる猫は初め」と驚く雄叫びを10連発ほど。それが「帰って来たぞ!」の知らせ。「お帰りー」と答えないとしつこく鳴き続ける。


安眠妨害も日常茶飯事

 昼間は季節に応じたお気に入りの場所で昼寝。小春日和の冬には花壇かデッキで。曇りがちならストーブの前か猫こたつ。夏は自分のベッドで丸くなり、春や秋は微妙な変化に合わせて2Fの納戸、私の布団の上、居間のクッションなどをわたり歩いていた。
 
 私が家にいて仕事をしているときは、パソコン周辺や足下が定番の昼寝場所。夜は私が電気を消すと(なぜ分かるのかは謎)、例の怪獣のような雄叫びを上げて寝室に入ってきて、私が読んでいる本の上に乗っかて「早く寝ようよ」と邪魔をした。
 
 本を引っ張っても、本の位置を変えても、退いてくれないでんすけに根負けし、電気を消すと満足そうに右脇の下に滑り込んできて、私の二の腕を枕に丸くなる。夜中は1~2回のパトロールに出るたび、そして帰って来るたび、例の雄叫びを上げて私の安眠を妨げてくれたものだ。

 すべてがまるで昨日のことのようなのに、もう二度と無いことなのだ。
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君がいるから、人生は面白い(2)

まぶしいときは目をふさいで昼寝
 でんすけがうちの猫になったのは17年前の9月半ば(たぶん13日)だったから、まるまる17年、私の側にいてくれたことになる。
 なぜはっきり日にちを覚えているかというと、その日は、でんすけが家のガレージで子猫を産み、「この家で暮らすぞ!」と宣言した日でもあるからだ。

 台風接近のニュースが騒がしかったその日、いつもは夜にやってくるでんすけが朝から庭で大騒ぎしていた。

 警戒心が強く、賢かったでんすけは、(当時は)めったに自分から声をかけてくることはなかった。いつもじーっとたたずんで、私が外に出てくるのを待っていた。逆にそのけなげさが不憫で気にかけてしまったものだ。

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「台風が怖い?」

お気に入りのトトロの毛布にくるまって なのにその日は違った。ゴハンをあげても座布団を敷いてあげても「ぎゃぁおー!」というものすごい声で何かを訴え続けている。

「風が強くなったから台風が怖いのかな?」

 そう思った私は、座布団を一段高い縁側に乗せ、その周りをついたてなどで囲い、ゴハンや水を周囲に設置した。もとから屋根はあるので、周囲を囲んであげればかなり風は避けられずはずだ。

 でんすけは安心したのかようやく静かになり、座布団の上に丸くなった。


我が家を出産場所にセレクト
 
「やれやれ」と思ったのもつかの間。しばらくして様子を見ると、なんと赤い血の塊のようなものがポロポロと座布団のうえに乗っかっている。

「なに、今の?」

 人はあまりに驚くと二度見するのだ。私も一回目をそらしてから、もう一度よーぉく見た。すると、でんすけの周りには5匹の新しい命が!

 でんすけは出産場所に我が家を選んだのだ。
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君がいるから、人生は面白い(3)

毛布と布団の間に寝るのが大好き それは人生を賭けた一大決心だったことだろう。

 野良猫は普通、子猫を守るために人目につかない場所でこっそりと出産する。それが人の家をわざわざ訪ね、声までかけ、出産の意思を伝えたのだ。一つ間違えば子猫もろとも命を失いかけない。

 あのときのでんの必死の表情を今もありありと思い出せるくらいだから、よほどの思いで家を訪ねてきたに違いない。

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弱虫でん初の自己主張

 その頃のでんすけは、本当に本当に超控えめな猫だった。ケフィの先代犬・りゅうが亡くなって、にわかに猫通りが激しくなった我が家の庭にやってきた猫のなかでも格段におとなしくてがりがりで、弱っちく、力の無い猫だった。

 他の猫たちに押され、ゴハンを食べられないこともしばしば。わざわざでんに向かって投げてあげた魚も、横からさっと出てきた猫に捕られてしまったり、威嚇して奪われたりしていた。

 近所のボス猫に追いかけ回され、よくうちの縁の下に隠れていた。

 次から次へとやってくる若い猫を老体で追い払ってのっしのっしとパトロールしていた晩年の様子からは、まったく想像ができない弱虫ぶりだったのだ。

 そのでんすけがしたはじめての自己主張。それが「ここで産んで、ここで暮らすぞ!」という宣言だった。

説得もむなしく

 当時、かなりの猫アレルギーだった私は、弱虫でんのことが気にかかりながらも、「私は猫アレルギーだからね。申し訳無いけど家では飼ってあげられないから。他にいいお家を探してね」と、説得に当たっていた。

 それにもかかわらず、でんの訪問はどんどん頻繁になり、そのうち寝泊まりもうちの庭でするようになっていった。深夜に電気を点けるとガラス窓の向こうに白いシルエットが浮かび上がったり、朝起きると縁側に脱ぎ捨てた私のスニーカーにでんの寝た跡が付いていたり、ということが増えていった。
 
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君がいるから、人生は面白い(4)

冬のお気に入り猫こたつ よくコメントをつけてくださる「みーちゃん」さんもおっしゃるように、確かに猫は自分で飼い主を選んでいるようだ。

 でんすけは飼い主選びを徹底した忠誠心の厚い猫だったと思う。最期まで、私以外の人と一緒に寝ることもなかったし、抱っこされることも、くっついて歩くこともしなかった。

 たぶん、ゆめやタマや亡くなったバターよりも、ずっとずっと過酷な人生を生きてきたからだったんだと思うけれど、けっして他の人にはなつかなかった。

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でんとは赤い糸で結ばれていた

 仮住まいの家から脱走しても私の元にちゃんと帰って来たし、引っ越しの荷物を運び出したガランとした家で「でんすけー」と叫んだら「にゃーお!」と鳴きながら私の腕に飛び込んできた。

 全身を預けて喜ぶでんの姿を見て「『きっと迎えに来てくれる』と信じてたんだなぁ」と、目頭が熱くなったものだ。

 でんすけにとって(うぬぼれかもしれないけど)私は唯一無二の存在だったのではないかと思う。
 よく私はでんすけに「でんと私は赤い糸で結ばれているんだよね-!」と話しかけたものだが、でんは私にとってもかけがえのない猫だった。

「猫は家につく」は嘘

 猫という生き物のかわいらしさ、猫と暮らす楽しさを教えてくれたのもでんすけだった。

 前回も書いた通り猫アレルギーだった私は、ずっと猫を遠ざけて生きてきた。だから「猫はわがままで人になつかない」とか「猫は人ではなく家につく薄情な生き物だ」なんて言う迷信? を真に受けていた。

 でも、それは嘘だった。猫はいっつも飼い主と一緒にいたがるし、甘えたがりの生き物だ。
 帰宅すればしっぽを振って出迎えるし、留守が続けば寂しがって文句を言ったり、すねたりする。大きめのスーツケースを準備していると中に入って「私もいく」と主張したり、「絶対どかない!」と上に乗って踏ん張ってたりする。

 引っ越しのときのエピソードからも「家ではなく人につく」ことは明白である。
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君がいるから、人生は面白い(5)

テレビを見 るでん そんな「人につく」猫だから、夜中にはお腹の上にのっかってきたり、顔をなめたり、話しかけたりしてきて、安眠を妨害する。

 仕事をしていれば、パソコンのモニターと顔の間にどっかりと座るし、マウスを持つ手にじゃれたり、キーボードを踏んでは設定を変えたりしてくれる。プリンターとは戦うし、長電話していると「この書類、やぶいちゃうけどいい?」と言った視線を向けてくる。

 トイレに入っていれば「中に入れて」と声をかけられるし、 新聞を読んでいれば新聞の上に寝転がる。
 
 ゴハンがないと鳴き、遊んでくれとまとわりつき、とにかく四六時中「ねぇー! ねぇー! こっち向いてよ!!」と言ってくる。

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猫のいない生活はある意味快適

寄り添うでんとケフィ たぶん猫のいない生活は、ある意味ずっと快適だろう。夜はぐっすり眠れるし、読書もはかどる。トイレはゆっくり入れるし、仕事はうんとはかどるはずだ。休みの日ごとに、動物病院に行かなくたってすむ。お金もきっと節約できる。

 でも、そんな効率的な生活は果たして楽しいのだろうか? 「ねぇ、ねぇ」と言ってくれる存在もいない、自分のエネルギーを分け与える者もない毎日は、充実しているのだろうか。
 

失って悲しめる者がいる幸せ

 きっとそうではないだろう。
 
 ほ乳類のなかでも、ダントツに共感能力が高い人間は、だれかの世話をすること、だれかのために自分のエネルギーを分け与えることで、充実感を感じられる。

 いつでも心を配り、関心を持たずにいられない存在がいるからこそ、孤独を感じずにすむ。

 だからこそ、別れはとてつもなく辛く悲しいのだが、失ったことでそんなにも悲しめるほど大事な存在がいたということは、このうえなもなく幸せなことだ。

 それは自分がちゃんとその存在と向き合ってきたという証拠だから。
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君がいるから、人生は面白い(6)

散策中 ちゃんと向き合ってきた存在は亡くなっても残された者の中で生き続ける。
 
 たとえ肉体は無くなっても、私がでんと共に過ごした時間、でんがいたからこそ知ったこと、考えたこと、出合ったこと。
 でんが私にやってくれたこと、私がでんのためにしたこと。

 そんな私とでんの日常の中で繰り返されてきたやりとり、積み上げられてきた歴史が、私の人生そのものであり、生活であり、私という人間をつくっている。


でんに出会わなかったら

ひなたぼっこ もし、でんすけに出会わなかったら。17年前のあの日、でんが「この家で暮らす!」と宣言をしなかったら。
 きっと私は、今も猫アレルギーで、猫を遠ざけて暮らしていたことだろう。

 そうしたらきっと、ミーちゃんとの出会いも、タマとの出会いも、ほかの多くの猫たちとの出会いも無かった。

 ミーちゃんを探すために『迷子のミーちゃん』を著すこともなかっただろうし、本を書いたことで分かった「本当に“人間らしく”生きるとはどういうことか」とか「一見、邪魔者のように見えてしまう小さく弱い存在が大きな幸せを与えてくれていること」にも気づけなかった。

 もちろん『先生と迷い猫』という映画も生まれなかったはずだ。

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でんがいなければあり得ない人生

 そうしたら、私の人生は今よりずっとつまらなかった。便利で効率的な毎日は手に入ったかもしれないけれど、こんなにも豊かで、私らしい毎日を送ることはできなかったと思う。

 私の人生の一部になったでんは、私が生きている限り私のなかで一緒に生き続ける。これからも、でんがいなければ決して起こり得なかった出来事や出会いを紡ぎながら、私と関わるあらゆるものたちの未来を、でんもまた、つくっていく。

 でんがいなければ絶対にあり得ないことだ。

「君がいるから、人生は面白い!!」のだ!
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でんすけへの思い(1)

 最近、なぜかでんすけのことをよく思い出す。
 カレンダーを見ては、「去年の今頃から、本格的に弱り始めたなぁ」とか「頻繁に点滴に行くようになったんだなぁ」とか考える。

 そしてなぜか、亡くなった直後よりも悲しい思いがこみ上げてくる。ずっと「でんがいないことに慣れない」生活が続いていたのに、最近は「ああ、でんはいないんだなぁ」としみじみと思ったりする。

ひとつめの理由

これ、私の! たぶん、理由は大きく分けてふたつある。
 
 ひとつは、タマがすっかりイエネコになったこと。衣替えで、でんすけが大好きだった沈むタイプの丸型クッションを出したとたん、「これ、私の!」と言わんばかりに、さっそく中に入って丸くなった(写真)。

 夜、私が眠るときには一緒に2Fに上がってきて、私の足元で丸くなる(でんすけは枕元だったけど)。仕事をしていると机の下ですやすやと眠っているし、お風呂に入っているとすりガラスの向こうから「ドアを開けて」と声をかけてくる。

 暑い日には、風が通り抜ける2Fの納戸の古新聞のなかで眠っているし、私の布団の横に座って公園を眺めるのも日課になった。どこもかしこも、でんすけがお気に入りにしていた場所である。
 帰宅するといちばんに声を上げ、飛び出してくるのもタマだ。

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でんの居場所が無くなっていく

布団の足元がお気に入り もちろんタマはかわいい。
 なかなか家に入れなかったタマが、これだけイエネコとしてのびのび幸せそうに生きている姿をみるのは嬉しいことだ。だけど、タマをなでながら、ほんの少しだけ隙間風のようなものが心の中に吹く。
「ここはずっとでんの場所だった」と。

 少しずつでんの場所がタマの場所に置き換わっていくような、でんの気配が薄くなっていくような、でんの居場所が無くなっていくような気持ちがしてしまうのだ。


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ブログリニューアル
このブログは「ミーちゃんを探して」を2017年2月20日にリニューアルしました。
ブログについて
さいたま市岩槻区で地域猫として住民に愛されていた三毛猫の「ミーちゃん」。 このブログはまず、2008年に行方不明になったミーちゃんの情報収集のためにつくられました。 […続きを読む
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