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からっぽ

「ボール見つけた!」。走れ! 走れ! どこにいても、何を見ても、何をしていても、ケフィのことばかり浮かぶ。

 朝起きると私のひざに顔をうずめて全身で「おはよう」の挨拶をしてきたケフィを思い出す。身支度をしていれば、その様子をじーっと見つめていたケフィの瞳が鏡に映る気がする。

 私の服装から「一緒に行ける」か「せがめば連れて行ってもらえる」か「絶対無理」かを判断していたケフィ。仕事に行く格好と判断すると、しょんぼりして自らハウスし、「どうせ行っちゃうんでしょ」と上目遣いに見つめていた。
 そんな様子が愛おしくて、置いて行くことが忍びなくて、「すぐに帰ってくるよ!」「早く会いたいから、ピューって急いで帰ってくるよ」と抱きしめたものだ。

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家にいれば

破壊大魔王。段ボールをつぶすお手伝いのつもり? 料理をすれば、背後に「何かちょうだい」と言いたげなケフィが立っている気がするから、パスタやうどんを茹でれば「ケフィの分も」と一瞬、考えてしまう。手巻きをすれば「ケフィにも海苔巻きを」と思ってしまう。
 食事をしているとテーブルの下で「何か落ちてこないかなぁ」と見つめている気がする。

 帰宅してドアを開けたら、ぬいぐるみやおもちゃをくわえながら、耳を倒して、ちぎれんばかりにしっぽを振って「何十年ぶりの再会!」との勢いで迎えてくれたあの笑顔にまた会えるような気がしてしまう。


外出先でも

 外出先でも思い出すことばかりだ。

 駅にある旅行パンフを見れば「ケフィと行ったところだ」と思ってしまうし、観光地の広告を見ては「ケフィが好きそう」と独りごち、はっとする。
雨が降ればレインコート姿のケフィが見える気がするし、車に乗れば「今日はどこへ行くの?」と身を乗り出すケフィの気配を感じてしまう。

 職場でお弁当を食べていると「ケフィの分」をとっておこうとしてしまう。帰宅するとバッグに顔を突っ込んで「お弁当の残りは!」とはしゃいでいた。ケフィが喜ぶから、必ず一口分残して帰るのが決まりだった。

ケフィがたくさん詰まっていた

「心にぽっかり穴が開く、という表現は、あながち大げさではないのだなぁと、その時初めて気づきました」という、みーちゃんさんのコメントが心に染みる

 ぽっかりと穴が空き、からっぽになった心。こういうのを喪失感と呼ぶのだろうか。今さらながら、私の心にはケフィがたくさん詰まっていたのだと思う。
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不意打ち

大好きな海に浸かって満面の 笑み 早いもので、もうすぐ四九日。ケフィが天使になってから、もう1月以上がたったのだ。

 ケフィがいないこの世にも変わらず朝が来て、同じように一日が始まる。だれもが今まで通り生活している。ケフィの笑顔が消えてしまっても何ひとつ変わりはしない。
 もうケフィはいないのに、この世はケフィを失ったのに。そんなことはお構いなしに日は昇り、時間は過ぎ、みんな生きていく。

 私自身もそうだ。ケフィがいたときと同じように朝起きてご飯を食べ、仕事をし、家事をこなして布団に入る。

 ぼんやりしたり、嫌な夢を見たりすることはあるけれど。夜中に目が覚めて眠れなくなることはあるけれど。それでも時間になれば起き上がり、人に会えば笑顔で挨拶する。冗談を言ったり、笑ったりしながら、毎日を過ごしていく。ケフィのことを尋ねられれば「亡くなったんです」とさらっと答えて。

「からっぽの心」など、存在しないかのように。

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油断していると

 ・・・そんなふうに油断していると、ときどき「不意打ち」に遭う。

 たとえばスーパーに猫のゴハンを買いに行ったとき。猫コーナーの向かい側にある犬コーナーが目に入ったとたん、突然、涙があふれ出した。想定外のことに驚く自分、涙が止まらず嗚咽の声を漏らす自分をどうしたらいいのか分からず、慌てて店を飛び出した。

 肉まんを食べたときもそうだ。「亡くなる直前、ケフィの口元に運ぶと思いがけず食べてくれたのもこの肉まんだった」との記憶が甦り、呼吸困難になった。ケフィの好物だったヨーグルトが空になれば、ヨーグルト容器を両手で押さえ顔を突っ込んでなめていたケフィの姿が浮かんで涙が止まらない。

なんでも無いものが

どんなときもびったりと寄り添ってくれていたケフィ 久々に着る服にケフィの毛を見つけると熱いものがこみ上げてくるし、「うんち袋に重宝だから」と貯めていたレジ袋を整理すれば胸が詰まる。

 レジ袋だけではない。散歩用のタオル、着古したダウンコート、冬山用のフリース、トレッキングシューズ、軍手、つばの広い帽子・・・。

 どこにでもある、何でもないはずの物やことが、私に「不意打ち」をくらわせ、ノックダウンさせる。

 本当に私の人生にはケフィがたくさん詰まっていた。

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充電不足

 1年ちょっと前にパートナーを事故で亡くした友人が言った。
「元気は、元気なんだよ。とくに何の問題も無く、ちゃんと毎日生活してる。だけど、なんていうのかな。ただなんか・・・やる気が出ないんだよ」

 今の私には友人の気持ちがよく分かる。

離人感

ケーキをがん見! 何をしていても、何を見ていても心が躍ることがない。自分が現実の世界に参加している感じが薄い。ワクワクしたり、どきどきしたりすることがない。「やってみよう!」という気になれない。

 毎朝、窓を開けるたびに「ケフィがいなくなってもやっぱり地球は回ってるんだ」という寂しさに襲われる。すべての出来事が自分を素通りし、膜の向こうで繰り広げられているような気がしてしまう。自分だけが置いてけぼりをくらっているような、世の中から「浮いている」ような、距離を感じる。

 毎日の生活はできているのに。仕事もちゃんとしているのに。周りに人もいるのに。人に囲まれながらも自分が「ひとりぽっち」な気がする。いや、たくさんの人に囲まれていればいるほど「自分はひとりだ」とより強く感じてしまう。


ケフィがくれたもの

昨年5月にはまだ自分から海に入るほど元 気だった 考えてみれば、当たり前のことかもしれない。

 この16年間、私に元気をくれたのはケフィだった。悲しいことや辛いことがあってもケフィをぎゅうっと抱きしめれば、忘れられた。嫌なことがあった1日もケフィの笑顔が帳消しにしてくれた。うまくいかないことや情けない自分に嫌気がさすことが続いても「自分はここにいていいんだ」と思わせてくれたのはケフィだった。

 そうやってケフィはいつでも私にエネルギーを与えてくれた。いつでもただ「私がいる」ことで大喜びし、私がただ「私である」ことを大歓迎してくれるケフィが、私のやる気をつくりだしてくれていた。
 私はそんなケフィからエネルギーをもらい、「ここにいる感覚」(現実感)を受け取っていたのだと思う。

 ケフィを失った今、エネルギーチャージがうまくできない。充電不足な毎日だ。

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ブログリニューアル
このブログは「ミーちゃんを探して」を2017年2月20日にリニューアルしました。
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さいたま市岩槻区で地域猫として住民に愛されていた三毛猫の「ミーちゃん」。 このブログはまず、2008年に行方不明になったミーちゃんの情報収集のためにつくられました。 […続きを読む
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