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ケフィの一周忌とゆめのこと

2017年元旦のケフィ。ほとんど目も空けず眠っている。

 1月4日はケフィの命日だ。ケフィが天使になって1年になる。
 去年の年末年始は、ケフィの体調に一喜一憂していた。『ゆめ、天へと還る(1)』で書いた通り、ある一線を超えると命は人の手を離れる。2016年12月5日はまさにケフィの命が、私の手を離れた瞬間だった。

 その日、肝臓に大きなガンが見つかってからというもの、坂道を転がるようにケフィの体調は悪化していった。
 それからの1月は人の手を離れた命の、ほんのわずかな欠片を探し、細い細い糸をたぐりよせいようとするだけの儚い日々だった。

「さよなら」をくれたでんとケフィ

 私は、ケフィの命が確実に終わりを迎える日、そう遠くはないその時におびえながら、叫び出したくなるような最期の一ヶ月を過ごした。死の恐怖へと向かうケフィがひとりぼっちにならないよう、共にその不安に耐えた。

 でんすけが亡くなる数日前、私をじっと見つめて確かに「さよなら」を告げたような、そんな瞬間はなかったけれど、あの一月の間に私はケフィからたくさんの「さよなら」を受け取った。

まだ実感がないゆめとの別れ

暗いところは嫌いだけど、明るいと眠れない でもゆめとは、そんな一月さえも過ごせなかった。そのせいなのか、ゆめがいなくなってしまった実感がない。
 ベランダを見れば、今も窓からから「ブラッシングは?」と催促しながらじーっとゆめが見つめている気がする。

 テーブルの下の猫ベッドのなかでまどろむゆめの姿が見える気がする。眠っていれば、寝室に出入りするゆめの気配が感じられるような気がする。階段を上り下りするゆめの、「ギャォ~!」という雄叫びが聞こえるような気がする。

 だから今も、いつも寝室で一緒に眠っていたのゆめが寂しくないよう、夜は祭壇のある1Fの部屋に明かりを点けている。2階に上ってくるときに転げ落ちないよう、階段と廊下の電気も忘れないようにし、トイレと水飲み代わりの洗面器が置いてあった洗面所とお風呂場も明るくしたままにしている。
 ゆめは暗い場所が好きではなかったから。

 耳が聞こえないくせに、いつでも人間のそばにいて会話を聞いているような猫だった。声をかけると、まるで聞こえるかのように真っ青な目を向けてきた。

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命とめぐり合う年になりますように

 去年は愛する命もみっつも見送った。ほんの1年ちょっと前までは、両方の家を合わせると三匹の猫と犬がいたのに、今はもうタマしかいない(通い猫は1~2週間に一度顔を出すけど)。
 今年はどうかたくさんの命とめぐり合える年になりますように。
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げぼくのわたし(1)

お天気がいい日はここでのお昼寝が定番だった

 ゆめが天へと還ったことを知った友人が『わたしのげぼく』(上野そら:著、くまくら珠美:イラスト/アルファポリス)という絵本を送ってくれた。
 自分を「わたし」と呼び、飼い主の男の子を「げぼく」と呼ぶ猫目線の一冊である。 「わたし」である猫の“えらかわいい”感じが、妙にゆめと似ている。

「きっとゆめもこんなふうに思っていたんだろうなー」と、読みながら泣き笑いした。

私は「しもべ」

 絵本に出て来る男の子(げぼく)は、毎日「わたし」のトイレを掃除し、頭をなで、猫じゃらしで遊ぶ。たしかに猫(わたし)からすれば、げぼくに見えるに違いない。

 私もきっとゆめからは同じように見えていたんだろう。ゆめが気に入ってくれるようゴハンを工夫し、布団を整え、トイレを掃除する。退屈しないよう遊びのお相手を仰せつかり、日に何度もブラッシングを命じられた。

 私はそんな自分のことを「しもべ」と呼んでいた。

うちの王様猫・ゆめ

ケフィのお下がりの毛布でお昼寝中。 うちの王様猫・ゆめは「しもべ」が掃除機をかけようとしても“でん”と横になったままどいてはくれず(耳が聞こえないので掃除機の音も怖くない)、床を拭いているとわざと前を通過して邪魔をした。

 フードボールが空になっていると「腹がへったぞー!」と催促し、食べこぼしたカリカリを拾っている横からフードボールをひっくり返してくれた。猫缶を飛ばしては床を汚しし、お風呂場を歩いた足で用を足しては、あちこちに足跡を残してくれた。

 たたんでいる洗濯物は踏んで行って蹴散らかし、夜は眠っている私のお腹を踏みながら「トイレに行くぞー」と雄叫びを上げて1階へと降りて言った。トイレから戻ってくれば「帰ってきたのに挨拶はないのかー!」と叫んだ。

 晩年、足腰が弱って排泄が一苦労になってからは、「うんちが出せないぞー!」と文句を言い、無事、排泄がすむと「うんちが出たぞー!」と大声で報告した。

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もし人間だけの生活なら

 いったい何度「人間だけで暮らしていたら、どれだけゆっくり眠れるだろう」と考えたかわからない。世話する相手がいなければ、たくさんの自由な時間ができて、掃除や家事もどれだけ楽になるだろうと想像したか分からない。
 
 汚れもつかないし、毛も飛ばない。猫砂が足にくっついて不快に思うこともない。きっと快適な生活が送れるだろう、と。
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げぼくのわたし(2)

パソコンを押しながらお昼寝中 これからはもう、朝の出勤前に時計とにらめっこしながらコーヒーを片手にブラッシングすることはない。仕事で疲れて帰ってきた夜にベランダへと呼び出されることもない。

 夜中に何度も起こされることもないし、猫砂が張り付いたタイルや窓ガラスのさんを掃除する手間もいらない。猫砂や毛がついたシーツや布団カバー洗う必要もないし、リビングに点在する足跡を拭くこともない。

 猫ベッドに張り付いた毛をコロコロで取ることも無くなるし、散らかしたキャットフードを寄せ集める必要もない。

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人間中心の生活

 ゆめのために、猫トイレがある洗面所のドアを細く空けておく必要はないし、風呂場の洗面器に水をためておく必要もない。
 風の強い日に猫窓から吹き込む風に悩まされることもないし、「ゴハン」だの、「寒い」だの、やれ「エアコンを点けろ」だのと命じられることも無い。

 こっちの家では、自分のために時間を使い、自分の都合を優先した、人間が中心の生活が送れるようになる。ドアや窓を開け放しての風通しだって自由自在だ。

世話する者がいる幸せ

 動物がいない生活といういうのはなんて自由で、快適で・・・そして寂しいのだろう。自分のために使える時間がたくさんあって、だれからも邪魔をされないということは、なんて贅沢で、便利で、退屈なのだろう。

 世話する者がいるというのは、なんてうっとうしくて、時間をとられて、煩わしくて・・・幸せなんだろう。
 ケフィがいなくなったときにも心から痛感した。

「わたし」はゆめの代弁者?

げぼくのわたし そんな私のことを見てゆめは「ほら、いないと寂しいでしょ?」と笑っているかもしれない。『わたしのげぼく』(上野そら:著、くまくら珠美:イラスト/アルファポリス)で、18歳で天へと還って行った「わたし」のつぶやきは、ゆめの言葉なのかも知れない。

「おまえがこっちにきたら・・・わたしをなでさせてやってもいいぞ。いっしょにあそんでやってもいいな。えがおを見るのもわるくはない。すこしくらいはもてなしてやるから、こちらのせかいでわたしとあうのを、たのしみにしているがよい。
 ・・・しかしおまえは、いそいでしまうとすぐころぶ。なのでゆっくりくるがよい。おまえのペースでくればいい。あんしんしろ。ゆっくりでも、おっとりでも、どんくさくても、わたしはおまえをきらいになったりなどしない。
 いつかあえる日を、こころまちにしている。それじゃあまたな、たっしゃでな」

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見えないゆめ・・・それとも

丸々と太っていた頃のゆめ。お腹を出して寝るのが好きだった

 ゆめが天へと還って行った翌朝、玄関前に出しておいたゴミが少しだけ荒らされていた。
 ゆめが亡くなった12月23日は来客があったため、外までごちそうの香りが漂ったせいかもしれない。

「ゆめがゴハンを食べに帰ってきたのかな。それとも、ゆめの彼女かな」

 そんなふうに家人と話したのは、以前はゆめを頻繁に尋ねて来る彼女(猫)がいたからだ。
 ゆめがブラッシングをせがむときくらいしかベランダに出なくなってからは、とんと見かけなくなっていた彼女猫。それが、ゆめとの別れを惜しんだのか、それとも匂いにつられたのか、訪ねてきたのではないかと思ったのだ。

ゆめの彼女はグレーの猫

 ゆめの彼女は、小ぶりですばしっこいグレーの猫だ。ゆめがベランダで過ごす時間が長かった頃は、ベランダのすぐ横にある木に登り、頻繁にゆめに会いに来ていた。そしてベランダの網越しに、ロミオとジュリエットよろしく何やら長いお話をしていた。

 生粋の野良で怖い思いをしているのか、人間が近づくとさっと木を飛び降りて逃げて行ってしまうため、近くで目撃したことは無い。でもゆめとラブラブなようだったから「きっとあの猫は女の子に違いない」と家では考えていた。

謎は深まるばかり

なでなでされて「気持ちいい」「ゆめが天へと還った日に、久々にやってきたのも何かの縁」と考え、その日から玄関先にカリカリやお肉と水を置いておくようにした。

 それから1月以上が経ったが、いまだにゆめの彼女は目撃されてはいない。唯一見かけたのは、三毛?のようなきれいな顔立ちの猫。その猫が壁を越えて家の庭に入って来ようとしたところを家人と鉢合わせし、慌ててきびすを返したという。

 ただし、その目撃情報も一度だけ。なのにゴハンだけは、いつのまにか無くなっている。夜寝る前に茶碗に入れておくと、朝には無い。朝、足しておくと昼過ぎには空になり、昼過ぎにさらに入れても夕方には空っぽだ。また追加しても、人間が眠る前に見てみると茶碗は洗ったようになっている。

 よっぽど飢えているのか、それとも複数の猫が食べに来ているのか。謎は深まるばかりだが、「ゆめの彼女が家の猫になってくれたらなぁ」と、密かに企んでいる。

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このブログは「ミーちゃんを探して」を2017年2月20日にリニューアルしました。
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さいたま市岩槻区で地域猫として住民に愛されていた三毛猫の「ミーちゃん」。 このブログはまず、2008年に行方不明になったミーちゃんの情報収集のためにつくられました。 […続きを読む
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