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タリ、天使になる

帰宅するといつも「おかえり!」と迎えてくれたタリ タリが天使になりました。
 本日、向かいの家の植え込みで横たわっているのが発見されたのです。

 かけつけてくださったペットレスキューさんに確認いただいたところ、「タリに間違いないでしょう。車とぶつかったようです」とのこと。

 おそらく姿が見えなくなった日に事故に遭った模様。遺体はかなり損傷していました。顔は識別できず、左耳のV字カットもよくわかりません。先に到着した家人によると「お腹にはウジ虫がびっしり付いていた」とのこと。
 模様と尻尾のかたち、体長から、タリであろうと判断し、家人とペットレスキューさんと共に、りゅう、でんすけ、ケフィを見送った霊園で今夜、荼毘に付しました。

 探していただいた方、ご心配していただいた方、みなさま本当にありがとうございました。

 あまりに突然のことで、今はこれ以上は書けません。落ち着いたら詳細をお知らせしたいと思います。

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運命のいたずら(1)

天気の良い日はここがお気に入りの昼寝場所だった 今、タリとおぼしき猫の遺骨はケフィやでんと一緒に仏壇の上に乗っている。でも、本当にそれがタリなのか? 
 何しろ発見されたとき、タリの姿はすっかり変わり果ててしまっていた。すでに腐敗が進んだ体は硬直して膨らみ、体型も変わっていた。顔も左耳のV字カットも識別できなかった。

 ただ、わりと大柄でお腹が白くて背中部分が黒く、太くて黒く短めな尻尾の猫だったこと。タリの通常のテリトリーで発見されたこと。亡くなって10日ほどが過ぎた状態であり、それはタリがいなくなった時期とちょうど重なること。
 そして、どんなにタリを呼んでも姿を現さないことから、「それがタリ」と判断せざるを得なかった。

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幸せのスタート地点
 
 どうしても信じられないのだ。まだ若くて、健康で、あんなにかわいくて、幸せのスタート地点に立ったばかりのタリがどうして死ななければならなかったのか。なんで交通事故なんていう、めったにあり得ないものに遭遇して命を落とさねばならなかったのか。

 家にやってくるまでの間、タリはうんと怖い思いをしただろう。かなり人間不信になっていた。寒かったり、お腹が空いたり、寂しかったり、多くの困難に遭ったはずだ。そんな苦労人生が終わろうとしている矢先だった。

 タリはようやく人間を信用しはじめていた。昨年末くらいから、やっと人間に抱っこされるようになって、家の中に入って安心してくつろげるようになったばかりだった。

 現れた当初は「口の利けない猫なのかな?」といぶかしんだくらい無口だったのに、いつの間にか私が知る猫の中でも1、2を争うほどおしゃべりになった。
「帰って来たよ」と言っては鳴き、「おなかが空いたよ」と言っては鳴き、「そばにいてよ」と言っては鳴いた。

のびのびと生き始めたばかり

私がじっとしてると永遠にスリスリしていた タリ お腹が空いているときには人間が歩く足の間をスラロームよろしく絡みつき、上を向きながら「にゃー、にゃー」と甘えた。そうやって少しずつ欲求を出し、自由に振る舞えるようになってきたところだった。

 ゴハンの選り好みも出てきて猫缶と混ぜなければカリカリを食べなくなり、かつお節や青魚はいまいち好きではなく、マグロや牛肉が大好きだった。キッチン台には美味しい物があると分かって人目を盗んでは乗っかって魚や肉を物色。亡くなる数日前には、ごていねいにも6枚入り食パンすべての角をかじって家人に怒られていた。

 ようやく安心し、「自分は愛されている」という自信を取り戻し、のびのびと生きられるようになったばかりだったのに。

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運命のいたずら(2)

一緒にケフィの看病をしてくれていたタリ こういうのを「運命のいたずら」と言うのだろうか。
 もしそうだとしても、その運命は変えることはできなかったのだろうか。

 たとえばあの日、私が家にいたらどうだったのだろう。タリは向かいの家に遊びに行かず、一日中、家の中やデッキでゴロゴロしたりはしていなかっただろうか。
 向かいに家に遊びに行っていたとしても、あと1秒、門をくぐって道路に飛び出すのが遅かったら。車が通りかかるタイミングが、ほんのわずかでもずれていたら。
 もし、車のスピードがもっと緩やかだったら生きていてくれたかもしれない。ケガをしたり、障害を負ったりしたかもしれないけれど、命だけは助かったかもしれない。

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抱っこが大好き

ひざのうえで安心して眠るタリ 私が床に座ると、自分から寄ってきてゴロゴロとのどを鳴きをして体をこすりつけてくるようになったタリ。背中を撫でてあげるとお尻を高くして、鍵形に曲げた尻尾を小刻みに揺らし、一段と大きなのど鳴きをしていたタリ。お尻の部分をとんとんと叩くと両手をうーんと伸ばしながらお尻を振っていたタリ。のどを撫でると気持ちよさそうに目をつむって私のひざにアゴを乗せたり、体を預けたりしてきたタリ。
 
 よほど人間に怖い思いをさせられたのか、自分から私のひざに乗っかってくるのは一大決心だったけれど、一度乗ると「もういい加減降りて」と言わないといけないくらい、いつまでもひざのうえで眠っていた。

 実は抱っこが大好きだったのだ(写真)。

 これからずっと、いくらでも大好きな抱っこができるはずだったのに。怖い思いをしたり、お腹を空かせたりすることもなく、のんびり過ごせるはずだったのに。
 いったいタリの人生はなんだったのだろう。どうしてタリが、こんな目に遭わなければならなかったのろう。


二度と来ない「今度」

「もっともっと、抱っこしてあげたらよかった」と思う。最後に抱っこしたとき、出勤時間が迫っているからと早々にひざから降ろしてしまった。それが最後になると知っていたら、もっと長い時間、ひざに乗せて撫でてあげたらよかった。

 最後に会った日、出かける準備を始めた私に向かって、タリは「にゃぁ」と鳴きながら何度も両目ウィンクを送ってきた。私はいつも通り「また今度ね」と声をかけた。「今度なんて二度と来ない」などと思いもせずに。

 そして抱っこをねだるタリを置いて家を出た。それがまさかタリとの永遠の別れになるとはつゆほども想像しなかった。
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黙ったまま

「もっと撫でて!」と催促するタリ
 タリの遺骨が乗って仏壇はぎゅうぎゅう。とっても窮屈になった。やっぱりけっこう大きな猫だったようで骨壺のサイズはでんすけの倍。先代犬りゅうと同じ大きさだ。

「本当にタリなの?」

 骨壺に向かって何度も話かけたが、答えは返ってこない。あんなにおしゃべりなタリだったのに、今はもう何一つ語ってはくれない。

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不幸中の幸い

 タリはお向かいの庭で発見された。家主が咲き終わったアジサイを束ねようとしたところ、その根元で冷たくなっていたという。
 10日間も、冷たい土の上に横たわっていたタリ。雨に打たれたり、日に当たったりしたことだろう。つやつやの被毛もぷりぷりしたお尻も、愛嬌のある瞳も面影がなく、まるでぼろぞうきんのようだった。

「たぶん道路を挟んだ家の門を出たところで車にぶつかり、もうろうとしながら身を隠せるところを探したんでしょう。周辺の状況は熟知していたはずですから、少しでも体が動けばもっと人目に付かない場所へ入りこんだはずです。そう考えると、ぶつかってほとんど意識が無く、痛みを感じる間もなかったと思います。こういう状況では遺体も見つからず、飼い主さんは何年も探し続けたりすることが多いのですが・・・今回は不幸中の幸いと言っていいかもしれません」(ペットレスキューさん)

 確かに「不幸中の幸い」ではあったと思う。もし、発見される日の前日、「最近、タリを見ませんね」と隣家のご主人に話しかけられた家人が事情を話していなかったら。発見された日に隣家のご主人が休みで、たまたま庭にいなかったら。きっと役所に通報され、ゴミとして処分されていた。
 私も家人もそんなことは知らずに、ずっと探し続けていただろう。

お家に帰って来てくれたけど

晴れた日には玄関先でもごろん「タリちゃん、お家に帰りたかったんですね」(なじみのペットシッターさん)

 そう、タリはちゃんと帰ってきてくれた。生きているのか、帰ってくるのか分からない存在を待ち続けるのは辛い。ミーちゃんのときにさんざん経験した。そんな思いを私にさせないようにと、ちゃんと帰って来てくれた。タリは本当に孝行猫だと思う。

 そんなタリに、私はいったい何をしてあげられたんだろう。 

 車にぶつかったとき、痛くはなかったんだろうか。苦しくはなかったんだろうか。意識がもうろうとする中で、「お家に帰ろう」と思ったのだろうか。
 人間は危機に直面すると過去の記憶から何か役立つものを探そうとするから走馬燈のように体験が思い出されるというけれど、タリはどうだったのだろう。ほんの少しだけでも私のことを思い出してくれただろうか。わずかだけでも幸せだったときを振り返ることはできただろうか。

 タリを探して歩く私の声は聞こえていた? 「ここにいるよ」と答えてくれていた? 「もうお家に帰れないの?」と心細くはなかった? 短い間だったけれど家の子になって幸せだった?
 
 いくら話しかけても骨壺に入ったタリは黙ったままだ。

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もしかしてでんすけ?

 タリがいなくなって1月が過ぎた。
 
 あれから、「2週間前まではタリはここにいたのに」「もういちど1月前のあのときに戻ることができるなら」「どこかで運命を変えることはできなかったのだろうか」

 ・・・いろんなことを考えている。だってどうしても、どんなに考えても、タリが死ななければならなかった理由が見つからないのだ。

 だからなのか。「何くわぬ顔でひょっこりと帰ってくるのではないか」と思わずにいられない。あの、まるで詩吟を歌っているかのようなバイブレーションが効いた、ちょっと情けない、息継ぎの長い鳴き声を響かせながら、茂みの向こうからにょっと顔を出すのではないかと思ってしまう。

新顔の猫がのぞいていた

一番最初のタリとの出会い そんなことを考えていたら、また新顔の猫が家をのぞきにきたという。私は会えなかったので写真を撮ることをはできなかったが、家人によると「茶色い小ぶりの猫で、最初にタリが来たときとまったく同じ様子(写真)で中をうかがっていた」とのこと。

 タリがやってきたのは、でんすけが亡くなって1月後だった。まるで我が家をのぞくように家の中をうかがっていたし、最初からケフィのことをまったく怖がらなかったので「もしかしてでんが毛皮を着替えてやってきたのでは?!」と思った。

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ケフィが亡くなって1月後に現れた猫 ケフィが亡くなって1月ほどが経ったときにも、見慣れないコが家をのぞきにきた(写真)。だから「きっとケフィまでいなくなってしまったから、でんが心配して様子を見にきたんだ」と思った。


淡い期待

 そして今回は・・・。もしかしたら、タリは本当に虹の橋へと旅立ってしまったのかもしれない。そこででんすけと会い、心配したでんすけが、毛皮を着替えてやって来たのかもしれない。

「まったくタリったら、車にぶつかるなんておっちょこちょいなんだから」
「護符(タリス)なんだから、ずっと家にいて人間達を守ってくれないと困るじゃない」

 なんてぶつぶつ言いながら。今頃は虹の橋のたもとに戻って、ケフィやりゅうやアサリンたちと「今度はどうする?」と会議を開いているのかもしれない。話がついたら、まただれかが会いに来てくれるかもしれない。
 そんな淡い期待を持ちながら、日々を暮らしている。
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命の意味(1)

最初からケフィをまったく怖がらず近寄ってきたタリ「あらゆる命にはすべて意味がある」と、信じている。たとえ邪魔者扱いされている野良さんでも、捨てられた犬や猫でも、どんな命も無駄なものなどなく、その命が周囲を幸せにする可能性を持っていると確信している。

 一度は「不要」とされた命が多くの人を救っていたことは、ミーちゃんの本で紹介した。でもそれは、ミーちゃんに限ったことではない。

 でんすけやタマやゆめやタリ・・・今まで私が拾って新しいお家へと旅立っていった猫たちのその後を見れば疑うところがない。どの子も、新しい家でほんとうに大切にされている。家族を慰め、家族の求心力になって輪をつくり、笑顔を増やし、みんなを幸せにしている。

 それは紛れもない事実である。

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タリが生まれてきた意味は?

あぐらをかいたひざにはまるのが大好きだった
 だけどタリのことを思うと「タリにとって生まれてきた意味はどこにあったのだろう」と考え込まずにいられない。

 タリはもちろん、私たち家族にたくさんの笑顔や幸せをくれた。タリとの突然の別れはまだまだ苦しくて、思い出すと涙が止まらなくなってしまうけれど、だからと言って「出会わなければよかった」なんて思わないし、きっとタリもそう思ってくれていると思う。

 だけど、なんで辛い思いばっかりしてきた人生がようやく終わり、「これから幸せになれるよ!」というときに、事故になど遭わなければいけなかったのか。
 苦労と幸せのバランスが悪すぎやしないか。本当は人間が大好きだったのに(写真)、ろくに甘えることもできないまま、短い生涯を閉じることになるなんて。

まだ何もしてあげていない

 私はまだ何もタリにしてあげていない。同じ布団で寝たり、ブラッシングしたりもしてあげていない。病院の診察券だってまだつくってあげていない。

 ノミ取り薬を付けると「何かされた!」と走って家を飛び出し、経過して何時間も戻って来ないのが常だったタリ。ところが事故の前々日、ノミ取り薬をつけると慌てて外へと飛び出したものの、5分としないうちにデッキでくつろぎながら、声をかけてきた。

 その姿を見て「そろそろケージにも入れそう。病院の健康診断を予約しようかな」と考えたばかりだった。
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命の意味(2)

 ケフィやでんすけとの別れも辛かった。少しずつ、でも確実に弱っていく姿を見るのは忍びなかったし、後半は「今日何かが起こるのではないか」といつもおびえていた。病院に預けていることも多かったから、携帯電話が鳴るたびに心臓がばくばくした。

 遠くない未来、当たり前のように続いてきた毎日が終わり、「愛する者を失うのだ」と知りながら暮らすのは本当に怖かった。ふたりが天使になったときには、「これで人生が終わる」と思うほど悲しかった。

 でも、ケフィやでんには「できる限りのことをしてあげられた」という思いがあった。ふたりには「もう一度、生まれ変わってもここの家のコになるよ」と言ってもらえる自信があった。もちろん、もっとたくさんかわいがってあげたかったし、同じ時を過ごしたかった。それでもどこかに愛しきったというか、やりきったというか、ある意味の達成感のようなものがあった。

せめて天国で

デッキにちょくちょく現れ始めた頃のタリ。いつも家の中をの ぞいていた。 だけどタリには、「何もかもがこれからだった」という気持ちだ。

 タリが現れたとき、私の心は最愛の猫・でんすけを失った喪失感と食欲が落ちはじめたケフィへの心配でいっぱいだった。タリが来てすぐケフィが心臓の膜に水が貯まる心タンポナーデで生死の境をさまよい、奇跡的な回復を喜んだのもつかの間。リンパ種が発見された。ケフィの世話に没頭することで、でんを失った穴を埋めていた。

 そんななかでいったい私はどれだけタリと向き合ってあげただろう。「そのうち」「いつか」と先延ばしにしてはいなかっただろうか。「まだまだタリとの時間はたっぷりある」と甘く考えてはいなかったか。
 事故の前日に新しくした敷物に一晩しか眠れなかったタリ。冬場、家に入りたいのになかなか入れず、窓から顔だけのぞかせていたタリ。私が外に出ると嬉しそうにスリスリしてきたタリ。抱き上げてひざに乗せると目を細めていたタリ。これからうんと、かわいがられて、幸せに生きられるはずだったタリ。

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人間が正座したときはひざの間にはまるのが好きだった。

 タリを荼毘に付すときには、私が着古したTシャツでくるんだ。実は抱っこが大好きで、甘えん坊だったタリが、「ずっと抱っこされている」と思えるように。せめて猫たちの天国で「幸せだなぁ」と思ってもらえるよう。

ずっと考えていること
 
 タリはなんのために生まれ、どうして私と出会ったのだろう。私に何を教えようとしてこんなにも生き急いでしまったのだろう。タリが私の人生に与えてくれた意味は何だったのか。
 タリを失ってから、ずっと考えている。
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ちょっと違う夏

 私は夏が好きだ。暑さに強いということもあるけもしれないけれど、初夏から盛夏にかけて、そこかしこで葉を茂らせる生命力あふれた濃い緑や、強い光を反射して輝く海を見ると、なんだかパワーがみなぎってくる。

 梅雨が明けて、今年も本格的な夏到来(ここ数日は戻り梅雨みたいな天気が続いているけど)。毎年、この時期はケフィとの長~い夏休みを目前に控え、わくわくする気持ちと片付けなければいけない仕事との間であっぷあっぷしていた。

 去年の夏は、体力が落ち始めたケフィになるべく負担がないよう、だけど大好きな海を楽しんでもらえるよう、夜間の緊急病院を調べたり、かかりつけ医に相談したりしながら、海に行った。
 ケフィと出かけた最後の夏休みだった。

みんなで海へ

 その前の年は、飛行機に乗せるのが心配になったケフィと、ペットシッターさんに預けていくのは気がかりになったでんすけを連れて、やっぱりみんなで海に行った。

 2年前の夏、でんすけはもう走り回ることはできなくなっていて、定期的に点滴を受けなければならなくなっていたが、それでも気持ちや体はそれなりに元気だった。
 そして、去年の夏はケフィも海で泳ぐだけの力が残っていた。食欲には波があって好き嫌いも出始めてはいたけれど、それでも「まだまだ大丈夫」な感じがあった。

遠い夏

ペットシッターさんが撮影してくれた去年の夏休み中のタリ 去年もおととしも、タマとタリはお留守番をしていた。まだ若いので、下手に連れて行って宿で脱走でもされたらかなわない。
 去年はふたりともペットシッターさんにお願いした。おととしは、「タリの勢いに押されてタマが家出してしまうかも」と、タリはペットシッターさんに、タマはペットホテルに預けた。

 甘え上手のタマとタリは、シッターさんやホテルの人に絶えずゴハンをねだっていたようで、私が旅行から戻ると、ふたりとも一回りウエストが太くなっていたものだ。

 同じようにまた夏がめぐってきたのに、今年はなんだか夏が遠い。もう戻らない遠い夏の日のことばかり考えてしまう。

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ブログリニューアル
このブログは「ミーちゃんを探して」を2017年2月20日にリニューアルしました。
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さいたま市岩槻区で地域猫として住民に愛されていた三毛猫の「ミーちゃん」。 このブログはまず、2008年に行方不明になったミーちゃんの情報収集のためにつくられました。 […続きを読む
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