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上を向いて歩こう

毛皮をかぶったでん けっこうな揺り戻しが続いている

 やっぱりこの春という季節がよくないらしい。街を歩いていても、道ばたに緑の芽吹きを見つけたり、元気に散歩する犬や日なたぼっこをする猫の姿が目につくようになった。冬の間は縮こまっていた命が、一斉に“のび”をして動き始めたような生命力を感じる。
 そんな命の輝きが、遠い世界のことのように思えてしまう。

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DMやカタログ
 
 毎日あちこちから届く「決算セール」のDMやカタログも良くない。見ないで捨ててしまえばいいのに、ついつい見てしまう。

「こんなの買ってあげたらケフィが喜ぶかな」
「これはケフィが好きそうだ」

 そんなことを思っては「もう必要ないじゃん!」と自分で突っ込み、落ち込んでいる。昨年の11月から12月はケフィの体によさそうなものを買いあさっていたから、その数もはんぱではない。

芋づる式

寒くても生命力全開だったケフィ そうやってケフィのことで落ち込んでいると芋づる式にでんのことが浮かんでくる。

 でんが亡くなったのは、もう1年半も前なのに。だいぶ「でんがいない毎日」に慣れたつもりでいたのに。ケフィのことを考えていると、どうしてもケフィとでんがいた毎日のことが思い出され、悲しみが二倍になってしまう。

 ようやくふさがった傷が、すぐそばにできた新しい傷の痛みでうずくかのように、ケフィを失った寂しさがでんを失った寂しさを思い出させる。まるで悲しみが悲しみを引き寄せているようだ。


心は立ち止まったまま

 だから最近は上を向いて歩いている。道ばたにうっかり春の兆しを見つけてしまわないように。天国から見ているだろう、でんやケフィが私を見つけやすいように。涙がこぼれてしまわないように。往年のヒット曲の歌詞はあながち嘘ではなかったらしい。

 ふたりがいない毎日に少しは慣れたつもりだったのに、心はずっと立ち止まったまま。季節だけが私を追い越して行く。
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揺り戻し

お昼寝中に起こされてちょっと不機嫌? な でんすけ 一時期は少し落ち着いたのに、最近またケフィやでんのことを思い出しては涙することが増えた。ふたりの夢を見ることもしょっちゅうで、夜中に何度も目が覚める。
 職場にいても、歩いていても、電車に乗っていても、いつのまにかふたりのことが頭に浮かび、うっかりすると涙が頬を伝わっていて自分でびっくりしたりする。

 だから出歩くときにはサングラスと大判マスクが欠かせない。幸いなことに世の中は花粉症の最盛期。同じようなスタイルの人がたくさんいて目立つ心配はなさそうだ。

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春のせい

 どうしてまたこんな揺り戻しが起きているのだろう? ひとつの理由は、きっと日増しに春めいてきた陽気のせいだ。

 光の強さが増し、影が濃くなってきた。少しずつ冬が遠のき、春の足音が大きくなった。庭のサンショウは丸いビーズのような新芽の“もと”を蓄えはじめ、ケフィが大好きな南の島から持って帰った長命草は若葉が芽吹きはじめた。
 
 公園ではユキヤナギがぽつぽつと白いつぼみを付け始め、でんとケフィが大好きでしょっちゅう匂いを嗅いだり、かじったりしていた“つんつん”とした雑草の勢いも増している。なのにでんとケフィの姿はない。

置いてけぼりのまま

でんすけと旅行した瀬戸内海の島で海を眺めるケフィ もうひとつは、この冬はいつもの半分くらいしか活躍しなかったニットの帽子を洗ったせいに違いない。

 ケフィの散歩のときにずっとかぶっていたニット帽。例年ならニット帽をしまったら、キャップが登場するのが常だった。そうして「散歩用グッズ」たちも季節に応じて少しずつ入れ替わっていった。だけど今年はキャップはまだ棚の奥にしまわれたままだ。

 もう少し太陽の勢いが増したら、今度はキャップの代わりにつばの広いUVカット効果がある帽子の出番。でもたぶん今年はUVカットの帽子はそんなに重宝されないだろう。

「散歩用グッズ」のマフラーがスカーフに、ダウンコートがウィンドブレーカーに替わる季節がきたのに。季節はそうやっていつも通りまた巡っていくのに、そこにケフィはいない。

 ケフィのことも、ケフィへの思いも、置いてけぼりのまま季節だけが入れ替わっていく。

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夢の話(2)

 橋を渡った動物たちはどこでどんなふうに暮らすのか。友人が2冊の絵本を送ってくれた。『虹の橋―Rainbow Bridge』(佼成出版社)と『ねこたちのてんごく』(ひさかたチャイルド )だ。

 どちらの本も「死後も犬や猫はとてもとてもとても幸せに暮らしながら、『かわいがってくれた人』のことを思っている」という。「いつかまた必ず一緒に暮らすことができる」(『虹の橋』)し、人間が知らないうちに「大好きだった人たちの様子を静かに見ていることもある」(『ねこたちのてんごく』)という。

毛皮を着替えて会いに来てる?

いちばん最初にタリを見かけたときもこのシチュエーシ ョンだった もし、そのとおりなら私はまたきっとふたりに会える。ふたりだけでなく、今までに見送ったかけがえのない命たちと、また共に暮らせるのだ。
 そしてでんはときどき我が家を訪ね私の様子をそっと見ていることがあるはずだ。

 そんなことを考えていたら、本当に猫がやって来た! 人が近寄ってもまったく逃げない。窓を開けても少しバックするくらい。まるで「家の様子を見に来たよ」という感じ。かつてのタリを彷彿とさせる。
 
 思えばタリが初めて姿を見せたのは、でんが亡くなった約一月後。今回の猫もケフィが亡くなってほぼ一月がたった頃に現れた。

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みんなで会いにきてよ

カメラを向けてもまるでに気にせず もしかしたら、でんはほんとうに毛皮を着替えてときどき様子を見に来ているのかもしれない。

「ケフィまでいなくなっちゃって、大丈夫かしら」「タマとタリはちゃんと人間をサポートしてる?」と気遣って。
 そして虹の橋に戻って行っては、ケフィやりゅうやアサりんたちみんなに見たことを報告し、話合っているのかもしれない。「どうしたら人間が元気になるかしら」と意見を募って、また様子を見に来ようとしているのかもしれない。

 しっかり者で世話好きのでんのことだから、十分にあり得る話だ。

 ・・・そんな夢みたいな話をつらつらと考えながら、今日も夢みたいなことを願っている。
「夢でも幻でも、魂でも影でもいい。みんなで会いに来てよ」と。

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夢の話(1)

いつもお尻をくっつけてお互いを確認していたでんとケフィ

 最近、ふと思う。

「もしかしたら、でんやケフィがこの世に存在したこと自体が夢だったんじゃないか」と。

 夜になると布団にもぐりこんでくるでんすけがいて、朝起きると抱きついてくるケフィがいた。毎日、日だまりを追いかけながら昼寝するでんすけがいて、どこまでも一緒に歩き続けるケフィがいた。

 ひざの上にでんの重みを感じながら仕事をしたり、私がちょっと移動するたびについて回るケフィに話しかけながら過ごした。いつでも足下に愛する者のぬくもりを感じ、ほおずりしたり、抱きしめたりした。

 でんすけの元気な声が家中に響き、ケフィの笑顔が家族を照らしていた。ふたりが仲良くお尻をくっつけながらリビングでお昼寝したり、おいかけっこをしていた。

長い夢?

でんすけの分とペアで届いた人形たち そんな日々は実はぜーんぶ夢で、「私は長い長い長い幸せな眠りのなかにいたのではないのか」と思ったりする。

 もしそうだとしたら私は何も悲しむ必要は無い。あれが夢の中での出来事だったとしたら。もうため息をつく必要もない。私はなにひとつ失っていないのだから。

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間違いなく存在した

豪華なカサブランカの花 束も だけど家の中には確かにいくつもケフィがひっかいた痕が残っている。障子にはでんすけがたてた爪痕もはっきりとある。布団や服、靴の中からふたりの毛が出て来ることがあるし、今までに見送ったコたちとの写真に並んでふたりの写真があちこちに置かれている。

 今もでんやケフィを悼む花や思い出の写真集、人形などの贈り物が届くし、それらは骨壺のすぐそばに飾られている。

 やっぱりふたりは間違いなくこの世に存在した。長い間、一緒に時を刻み、私にたくさんの笑顔や幸せな時間をくれて、心の支えとなってくれた。
 そうしてほんとうに数え切れないほどの思い出を置いて、虹の橋へと旅立って行ったのだ。

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充電不足

 1年ちょっと前にパートナーを事故で亡くした友人が言った。
「元気は、元気なんだよ。とくに何の問題も無く、ちゃんと毎日生活してる。だけど、なんていうのかな。ただなんか・・・やる気が出ないんだよ」

 今の私には友人の気持ちがよく分かる。

離人感

ケーキをがん見! 何をしていても、何を見ていても心が躍ることがない。自分が現実の世界に参加している感じが薄い。ワクワクしたり、どきどきしたりすることがない。「やってみよう!」という気になれない。

 毎朝、窓を開けるたびに「ケフィがいなくなってもやっぱり地球は回ってるんだ」という寂しさに襲われる。すべての出来事が自分を素通りし、膜の向こうで繰り広げられているような気がしてしまう。自分だけが置いてけぼりをくらっているような、世の中から「浮いている」ような、距離を感じる。

 毎日の生活はできているのに。仕事もちゃんとしているのに。周りに人もいるのに。人に囲まれながらも自分が「ひとりぽっち」な気がする。いや、たくさんの人に囲まれていればいるほど「自分はひとりだ」とより強く感じてしまう。


ケフィがくれたもの

昨年5月にはまだ自分から海に入るほど元 気だった 考えてみれば、当たり前のことかもしれない。

 この16年間、私に元気をくれたのはケフィだった。悲しいことや辛いことがあってもケフィをぎゅうっと抱きしめれば、忘れられた。嫌なことがあった1日もケフィの笑顔が帳消しにしてくれた。うまくいかないことや情けない自分に嫌気がさすことが続いても「自分はここにいていいんだ」と思わせてくれたのはケフィだった。

 そうやってケフィはいつでも私にエネルギーを与えてくれた。いつでもただ「私がいる」ことで大喜びし、私がただ「私である」ことを大歓迎してくれるケフィが、私のやる気をつくりだしてくれていた。
 私はそんなケフィからエネルギーをもらい、「ここにいる感覚」(現実感)を受け取っていたのだと思う。

 ケフィを失った今、エネルギーチャージがうまくできない。充電不足な毎日だ。

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このブログは「ミーちゃんを探して」を2017年2月20日にリニューアルしました。
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さいたま市岩槻区で地域猫として住民に愛されていた三毛猫の「ミーちゃん」。 このブログはまず、2008年に行方不明になったミーちゃんの情報収集のためにつくられました。 […続きを読む
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